- | HOME |
ネット上の議論について 1
- 2007/06/28(木) 21:52:41
※今回の記事は批判的な内容を多く含んでいます。
難しい話が嫌いな人や、議論が嫌いな人は見ないようにお願いします。
長文な上に、日本語おかしい点も多いです。
ブログというツールのおかげで、誰でも自分の意見がお手軽に発信できるようになった。
よく練られた考察もあれば、そうでないものまで。
※麻雀界は圧倒的に後者が多い
ある意見に賛同できない人が米欄で異論を唱える→議論に発展。
特に珍しいことでも無いし、それは悪いことでもない。
でも麻雀系のブログで行われる議論は、丁々発止のやりとりになる事は少ない。
「何の根拠も無い出鱈目な主張をした者が、論理的な識者に一方的に追い詰められるだけ」
こんな光景がそこかしこで見られる。
なぜか。
麻雀というゲームはこれまで、「薄汚いオッサンのするギャンブル」のようなイメージがあり
「知的な頭脳ゲーム」として見られるようになったのはごく最近のこと。
いや、現在でも「ギャンブル」のイメージのほうが根強いくらいかな。
そのため麻雀を理論的に研究しようとする人は少ない。異常に少ない。
アマチュアはもちろん、プロ雀士でもそんな人は少ない。
この「研究不足のせいで」麻雀はわからないことだらけだ。
だが「わからないことだらけ」なのをいいことに、
自分の単なる思い込みや信念をさも「麻雀の真理」であるかのように喧伝する輩がいる。
「麻雀は理屈ではない、勝負の流れを敏感に感じ取るセンスが必要だ」だそうだ。
そればかりか、麻雀を研究しようと試みる者の足を引っ張る者すらいる。
「麻雀はそんな単純なものではない、お前の考えは机上の空論、薄っぺらだ」だそうだ。
麻雀の理論を研究できるほどの能力を有する人材は麻雀界には少ない。僕も出来ない。
そして研究できるような環境は(一部ネット麻雀を除いて)存在しない。
そうなると何の能力も無い「自称上級者」や「自称プロフェッショナル」に出来ることは
限られてくる。
「理論を研究出来ない、理解出来ない自分達が劣っているのでは無く、
理屈や理論などは麻雀には必要の無い、無駄な事である」という印象操作。これだけだ。
研究などが出来ないかわりに彼らがしてきた事は、「自分達がいかに強いか」
「自分達がいかに高度な事をしているか」を
「間違ってないだけの当たり前の事」「誰にでも言えるような精神論」
を交えて喧伝しただけ。イメージ戦略だけである。
そう、彼らには麻雀の理論研究など、どうでもいい。
自分が強いと思われれば、自分が気持ちよくなれればそれで気が済む。
麻雀界はそんな人間だらけだ。
話を戻そう。
なぜ彼らはちょっと指摘されただけで、あっさり論理破綻するような主張を
自信たっぷりにブログで発信出来るのか。
麻雀界は「理論を研究する人」だけでなく、「論理的思考能力を有する人」も少ない。
自称上級者の周囲には、彼らの荒唐無稽な主張を何の疑いも無く鵜呑みにしてしまう
無邪気な人ばかりで、おかしい部分を指摘する人がいないのだろう。
いたとしても、日本人は面と向かって異論を唱える事が苦手な人が多い。
(議論後の人間関係を考慮したりね。気に入らない意見を暴力等で反故にする奴もいるし。)
以上の事から、自称上級者に向けられる意見は
「へ〜、すご〜い」「さすが上級者、色々考えているんですね〜」
など、好意的な意見のみになるだろう。
誤謬を指摘される機会の無い、ぬるま湯の環境。
すると自称上級者は自分の主張が優れていると勘違いをする。
↓
ブログでも持論を展開する。
だがネット上には、あっさり自分の主張に賛同してくれるような
無邪気な人ばかりではない。論理的な人もいるし、ネットの匿名性も手伝って
はっきりと反論できる人が多くなる。
「何の根拠も無い出鱈目な主張をした者が、論理的な識者に一方的に追い詰められるだけ」
こんな状況になるのは必然なのかもしれない。
続く
- 麻雀
- | trackback(0)
- | comment(0)
この記事に対するトラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事にコメントする
- | HOME |


この記事に対するコメント